太平洋戦争を生きた若者たちの群像劇——『映画 太陽の子』
希望を持ち続けることの大切さ
文:花塚水結
編集部・花塚が今観たい映画作品を紹介する連載「気になるシーンをコマ送り スクリーンZIEL」。第11回目は、2021年8月6日(金)に公開される『映画 太陽の子』。
舞台は1945年夏、京都。太平洋戦争という過酷な時代を全力で生きた、若者たちの群像劇です。かつて日本に実在した「原爆研究」を基に展開していく物語を、日本とハリウッドのスタッフが描きました。
当時を生きていた若者たちは、運命の8月6日をどのような心境で迎えたのでしょうか——。
戦争時代を生きる人々の “葛藤” と “希望”
「この研究が成功すれば、戦争は終わる」
海軍から極秘の依頼を受けた京都帝国大学・物理学研究室では、荒勝文策教授(國村 隼)の指導のもと、原子核爆弾の開発を急いでいました。科学者の石村 修(柳楽優弥)は、尊敬するアインシュタインの理論を具現化することに胸を膨らませ、研究に没頭する日々。
そんななか、建物疎開で自宅を失った幼馴染の朝倉世津(有村架純)が、修の家に居候、一緒に過ごすことになります。
時は流れて1945年初夏、修の弟・裕之(三浦春馬)が戦地から突然、帰郷します。再会をよろこぶ3人は、修の母・フミ(田中裕子)のすすめにより、浜辺でしばしの夏休みを楽しんでいました。
その帰り道、バスがエンストし、ほかの乗客とともに野宿を余儀なくされた3人。ところが、修が夜中に目を覚ますと、裕之の姿がありませんでした。世津と一緒に捜索すると、裕之は荒れている海へと向かい、自ら命を絶とうとしていたのです。修が必死で引き戻しますが、裕之は泣きながら「怖いよ。俺だけ死なんわけにいかん」と本音を漏らします。裕之は戦地で深い心の傷を負っていたのです。
裕之を強く抱きしめる修でしたが、原子核爆弾の開発を進める裏で、その破壊力に恐れ慄き、葛藤を抱いていました。
そんな二人のを包み込む世津はただ一人、戦争が終わった後の未来を見据え、希望を語ります。
それぞれの想いを受け、再び自分たちの未来へと歩き出した3人でしたが、運命の8月6日が訪れてしまうのでした——。
どんなことが起きようと、日常は続いていく
本作の始まりは、監督の黒崎 博さんが偶然目にした若い科学者の残した日記でした。
原子の力を利用した新型爆弾の開発、その大きな任務に携わるかたわら、日々の食事や恋愛など、 等身大の学生の日常が記されていたのです。「戦時下の極限の状態にあっても、ひたむきに青春の日々を生きた若者たちの姿を描きたい」——そんな想いでプロジェクトを立ち上げたそうです。
その言葉のとおり、本作では戦時中の生活を中心に描かれています。
失敗を繰り返す研究。突然、強制的に壊される自宅。いつ起こるかわからない空襲。奪われていく罪のない人々の命。それでもお腹は空くし、一日の終わりにはお風呂に入って疲れを取る——そんな、何でもない日常の幸せが際立っていたように感じました。
コロナ禍という非常事態が続く今、行動が制限され、何万人もの人たちが命を落としてきました。それでも、ご飯を食べながら4年に一度の祭典をテレビで眺めています。時代も状況も違えど、非常事態のなかで日常を繰り返す私たちにとって、少なからず共感できる部分があるのではないでしょうか。
希望を持ち続けた世津の言葉
自宅が壊されても、戦地で傷を負った幼馴染を目の当たりにしても、希望を持ち続けていた世津の言葉には勇気をもらいました。
裕之が自ら命を絶とうとした翌日の夜、杯を交わしていた修と裕之に対して世津は夢を語ります。
「戦争が終わったら、教師になる」——必死に自分の職務を全うすることだけを考えていた二人はとても驚いていましたが、裕之が「せやね、いっぱい未来の話しよう」を答えると、修も笑顔で頷きます。
未来への希望を持ち続けること。どんな状況であろうとも、それを乗り越える力をくれるのは希望だと思います。きっと、マスクなしの生活も海外旅行も、今にできるようになると希望を持たせてくれた映画でした。
劇場は換気がしっかりなされた施設です。ぜひ足を運んで観てみてください。
- 作品情報
- 『映画 太陽の子』
公開日:8月6日(金)全国公開
監督・脚本:黒崎 博
出演:柳楽優弥、有村架純、三浦春馬、田中裕子、國村 隼ほか
配給:イオンエンターテイメント
公式サイト: https://taiyounoko-movie.jp/
©2021 ELEVEN ARTS STUDIOS / 「太陽の子」フィルムパートナーズ
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