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みんなちがって、みんないい。

「みんなとわたし」のまなざしへ——寄稿:矢崎節夫

特集 「みんな」と「わたし」――がんばらない人間関係の秘訣 2020.11.20

文:矢崎節夫

“みんなちがって、みんないい。” ——このフレーズを、人生のどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。この言葉は、童謡詩人・金子みすゞの詩『わたしと小鳥とすずと』の一節にあります。そして、今私たちがこの詩に触れられているのは、童謡詩人・矢崎節夫さんのおかげでしょう。

金子みすゞは、『わたしと小鳥とすずと』のほかにも500以上もの詩を制作し、26年という短い生涯を終えました。それらの詩は、当時の雑誌に何度か掲載されただけで、そこから長い期間、金子みすゞという人物も、詩も、世間に知られることはありませんでした。

時は流れ、偶然『大漁』という詩に出合った矢崎さんは、あまりの感動に、作者を探します。長い年月を書けて都内中の古本屋を巡り、やっと出会えたのが作者の弟である正祐さんでした。その作者というのが、金子みすゞだったのです。

矢崎さんは、弟の正祐さんから金子みすゞが詠った詩のすべてが書かれた3冊の手帳を受け取り、本というかたちで世に出しました。そうして、私たちは、何年も胸に響く詩に出合うことができたのです。

そんな金子みすゞの存在と詩を世に広く伝えた張本人である矢崎さんに、『わたしと小鳥とすずと』から読める、金子みすゞの「みんな」と「わたし」についての考え方、そして、矢崎さん自身の考え方を教えていただきました。

 

“みんなちがって、みんないい。”
——金子みすゞが込めた想い

「ZIELの11月の特集が「みんなとわたし」に決まったとき、小学校で習った童謡詩人・金子みすゞの『わたしと小鳥とすずと』の一節、 “みんなちがって、みんないい。” を思い出した」と、編集部の花塚さんに言われ、うれしく思いました。

金子みすゞの詩は、平成8年度からすべての小学校の国語の教科書に載り、以降、全国の子どもたちは必ず金子みすゞの詩に出合っています。金子みすゞの童謡集『わたしと小鳥とすずと』(JULA出版局)は110版と、詩集では考えられないほど版を重ねているロングセラー作品で、世界13カ国語にも翻訳されています。花塚さんが思い出してくれた詩は『わたしと小鳥とすずと』です。

 

わたしと小鳥とすずと

金子みすゞ

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように、
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

出典:『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』(JULA出版局

 

“みんなちがって、みんないい。” なんてやさしい言葉でしょう。
46億年の地球の歴史のなかで、38億年前にいのちが誕生し、その間、何回かの氷河期をも奇跡的に生き伸びたいのちを受け継ぎ、今、私たちは人間という器にいのちをいただいて生きているのです。
この38億年のいのちのバトンを受け継いだからこそ、“誰もが生まれただけで百点満点”という尊厳を持って生まれ、いつかふるさとに帰ることができるのです。

ふるさとに帰る——つまり、亡くなるということは、この世界の外に肉体として存在している私が、家族や大好きな人の心のなかに場所を変えて生きるということなのです。

“みんなちがって、みんないい。” と思えるようになるには、自分中心のまなざしから、「みんなとともに生き、生かされているわたし」というまなざしへ、変わらなくてはなりません

『わたしと小鳥とすずと』で一番大切なこと、それは、タイトルである「わたしと小鳥とすずと」では、「みんな」の前に「わたし」がありますが、詩の最後から二行目では “すずと、小鳥と、それからわたし” と、「みんな」の後に「わたし」があることです。

「わたし」を先行させてしまうと、人はがんばりすぎてしまいます。わたしをわたしであらしめてくれる、わたし以外のみんなに対し、「なぜわかってくれないの」「どうしてこんなこともできないの」と批判し、言葉をぶつけやすくなるのです。

がんばればがんばるほど、忙しくなりますから、まわりのみんなに心を寄せることもなく、自分中心で駆け抜けてしまいます。

「忙」という字は、「心が亡くなる」と書きますよね。つい「忙しい」と言ってしまったときは、「あっ、自分は今、自分中心で心が亡くなっているんだ」と思って、立ち止まって、深呼吸するだけで、「わたしとみんな」から「みんなとわたし」へ、まなざしを変えることができます

 

できないこといっぱい。それでも、生まれただけで百点満点

私たちは自分や物事について考えるとき、つい「できること、できないこと」「知っていること、知らないこと」と考えがちです。でも、みすゞさんは違います。
『わたしと小鳥とすずと』で詠われているのは、「空はとべない」「地面は走れない」「きれいな音はでない」「たくさんのうたは知らない」と、できないこと、知らないことだけです。それでも、 “みんなちがって、みんないい。” と、 “あなたは生まれただけで百点満点” と詠っているのです

私たちは、できないこと、知らないことばかりで生まれてきました。赤ん坊のときは、誰もが泣くこと、眠ること、おっぱいを吸うこと、排泄することしかできなかったのです。それが歳を重ねるにつれて、できることと知っていることが少しずつ増えました。

そして、歳を重ねるごとに、手に入れた経験や、学んできたことを少しずつお返しするようになるのです。
そんなとき、「なぜこんなことができなくなったんだろう」とか、「どうして忘れちゃったのかしら」と、自分で自分を責めてはいけません。はじめから「できないこと、知らないことがいっぱい」で生まれてきたのですから、どんなにお返ししても、まだ「できることも、知っていることもあるな」と、ニコニコしていればいいのです。
元々、「できないこと、知らないことがいっぱい」で生まれてきたのですから、お返ししながらも、そのうえで、できることと知らないことを、少しずつ足していけばいいのです

私は落語が大好きで、夕食は落語を聴きながら食べるのが習慣です(楽しく笑って食事ができるのは、それだけで倖せですから)。そのなかでも好きな、落語家・桂米丸師匠のある落語の冒頭に、こんな一節があります。

「どうして歳を重ねると遠視になるのかというと、若いころは家族や会社など近いところのことを一生懸命やったのだから、そろそろ遠い社会に向かって、あなたのできることをしなさいという神様からのメッセージで、遠くが見えるようになるのです。
それは、神様が1人の人として、その存在を認めてくれたことなのです。遠視になることが、そんなにすごいことだと思ったら、歳を重ねることに喜びがわきますね」

この噺を聴いて、近視で、遠視で、乱視の私は、「人よりも劣っていること」がたくさんありますが、その分、神様からたくさん認めてもらえているのかもしれないと思うと、倖せな気持ちになりました

 

「ありがとう」の練習

ずいぶん前になりますが、あるお寺の掲示板に “これからが これまでを きめる” と書いてあって、「あっ、そうか!」と心とからだがすうっと楽になりました。

私の人生を振り返ると、反省することや、ああすればよかったと悔やむことばかりが思い浮かびます。しかし、これまで生きてきた人生より、これからの人生ほうが、はるかに短いのです。ふるさとに今日帰るか、明日帰るか、それとも5年後、10年後……いつ帰るかはわかりません。
これまでの人生に後悔するよりも、これからの短い人生を大切にして「私はみんなに支えられている」と心に置いて生きていればいいのだと思えて、心から救われた言葉になりました

私の大先輩である、童謡詩人・三越左千夫さんのご自宅で枕を並べて寝たときのこと——。突然、三越さんが布団の上に正座し、両手を合わせて何か言い始めました。「何をされているのですか」と尋ねると、「亡くなるときの練習をしているのよ。みんなにお世話になったから、 “ありがとう” と言う練習をね」と、答えが返ってきました。

その後、三越さんはそのとおりに亡くなられました。
胃がんを患い、横になるのも苦しく、ベッドに備え付けのテーブルにうつ伏せになることしかできませんでしたが、最後に「祭りは終わったな」と呟くと、家族に正座をさせてもらい、両手を合わせ「ありがとうよ」と言って、ふるさとに帰って行かれました。

そんな三越さんの姿をご家族から伺い、実に見事だなと、心から感動しました。
私も、三越さんのように最期に「ありがとう」と言えるように、毎日の生活で「ありがとう」をたくさん言いたい。——それが、私の終活なのでしょう。

 

金子みすゞ『わたしと小鳥とすずと』を知っていた人も、知らなかった人も、ぜひ感想を教えてください。

著作情報
『矢崎節夫童謡集・きらり きーん』(JULA出版局)
http://www.jula.co.jp/2016/01/d_/667.php

金子みすゞを発掘した著者・矢崎節夫の第三童謡集。第13回童謡文化賞を受賞した前作『うずまきぎんが』から2年、創作への意欲はますます高まり、言葉とリズムが躍動する作品が生まれました。「しまうまさん」「トンネルは てじなし」など53編、ゆたかな童謡世界をお楽しみください。
  1. ふっちゃん

    金子みすずって名前は知っていたけど読んだ事は無かったです みんな違ってみんないい ああ読んでみたくなりました

    • 花塚水結(ZIEL編集部)

      この記事をきっかけに、「読んでみたい」と思っていただけたことが何よりうれしいです。ありがとうございます!
      金子みすゞの詩は『わたしと小鳥とすずと』以外にもたくさん素敵な作品がありますので、ぜひ彼女の世界観に癒されてください☺️(『わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集』 https://amzn.to/3766MxQ

  2. ばびろん

    過日、矢崎さんの講演に伺った者です。金子みすゞさんの詩に心を奪われますが、
    矢崎節夫さんの絵本も私にとっては人生の彩りを濃くしてくれる存在です。
    中でも「ありがとうのき」人生は「ありがとう」の連鎖 
    「ありがとう」を言われるよりも「ありがとう」と、沢山言える人生を送りたいです。

    • 花塚水結(ZIEL編集部)

      矢崎さんの作品や言葉には、あたたかさがこもっていますよね。「ありがとう」とたくさん言うことで、「ありがとうの連鎖」の出発点になれたらいいですよね☺️

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矢崎節夫

童謡詩人。金子みすゞ記念館館長。1947年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒業。大学在学中より童謡・童話の世界を志し、童謡詩人佐藤義美、まど・みちおに師事。1982年、童話集『ほしとそらのしたで』(フレーベル館)で、第12回赤い鳥文学賞を受賞する。
自身の創作活動の傍ら、学生時代に出会った一編の詩に衝撃を受け、その作者である童謡詩人金子みすゞの作品を探し続ける。16年ののち、ついに埋もれていた遺稿を見つけ『金子みすゞ全集』(JULA出版局)として世に出し、以後その作品集の編集・出版に携わっている。特に、長年の努力の集積として執筆した『童謡詩人金子みすゞの生涯』(JULA出版局)においては、1993年、日本児童文学学会賞を受賞している。
矢崎節夫

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