世界中のアクセサリーが集結「アクセサリーミュージアム」
アクセサリーミュージアム館長・田中元子さんに聞く設立秘話
取材・文:花塚水結
世界中、さまざまな年代のアクセサリーが展示されているアクセサリーミュージアム。
幼少のころからアクセサリーとともに人生を歩み、展示物の多くを買い集めたという館長の田中元子さんに、当博物館の設立秘話を伺いました。
渋々飛び込んだアクセサリー業界
花塚:田中さんは幼少のころからアクセサリーが身近な存在であったと伺いました。なぜアクセサリーが身近にあったのでしょうか。
田中:父がアクセサリー企画工場を営んでいたんですよ。戦後、それまで勤めていた会社を辞めて、卸売業をやりたいと言って始めたそうです。高度経済成長期の波に乗って事業はどんどん大きくなり、私も中学生くらいから職人さんに混ざってアクセサリーをつくるお手伝いをしていました。
花塚:なるほど。もう中学生のころからアクセサリー業界への道が拓かれていたのですね。
田中:そうですね……はじめは渋々でしたけど(笑)
花塚:渋々だったのですか?
田中:本当は大学へ行きたかったんですけど、アクセサリー工房を私に継いでほしいと思っていた父がわざと「大学に行きたいなら自分で行け」と言ってきたんです。当然、入学金を支払えるわけもなく……。それで、大学は諦めて父に「アクセサリーをつくってみようかな」と言ったら、それはそれはとてもよろこんでいました(笑)
花塚:お父さまの作戦勝ちと(笑)
田中:そうなんです。それで父からアクセサリー工房を受け継ぎました。とは言いつつも、なかなか家業に身が入らない日々が続きましたね。そんなあるとき、「こんなアクセサリーがほしいな」と思って父に相談しに行くと、「自分でつくってごらん」と言われて。それで職人さんのところにも行って教えてもらったのですが、技術的にむずかしくて苦戦していました。すると父がいろんな技術を教えてくれたんですね。そこから徐々にアクセサリーづくりの “おもしろさ” がわかってきたような気がしました。
花塚:どのような点にアクセサリーづくりの “おもしろさ” を感じましたか?
田中:父は常に「若い女性」をターゲットとしてものづくりをしていたんです。ですから、私もさまざまなファッションの流行を体現しながら、それに合うアクセサリーづくりをしていました。
1960年ころにブラウスが大流行したので、ブラウスの襟元に着けられるようにと革で花のブローチをつくって売り出したら、父も驚くほど飛ぶように売れて。「売れたらこんなにおもしろいんだ!」と思うようになり、この業界にのめり込んでしまったのです。
1965年にはイギリスのファッションブランド「マリークワント」がミニスカートを発表し、若い世代が「大人とは違うファッション」をする「ヤングブーム」が到来しました。それまでは世代間によるファッションの違いはありませんでしたから、斬新でしたね。そこからミニスカブームやディスコブーム、ヒッピールック……と、さまざまなファッションが流行するたび、それに合うアクセサリーづくりをしてきました。
ミュージアム設立は若いデザイナーを育てるため
花塚:最初はアクセサリー工房を受け継いで製品をつくられていたというわけですが、どのような経緯でアクセサリーミュージアムを設立されたのでしょうか。
田中:もっと若い世代のアクセサリーデザイナーや職人が出てきてくれたらいいな、と思ったんです。
1990年代に入ると、アクセサリー職人たちが歳を重ねて退職し、職人さんが激減していきました。代わりに海外の安い工場に製造を依頼することが増えたのですが、当然、輸送費や税金などお金がものすごくかかるため、大量生産してコストを抑えていたんです。
その結果、安全牌の「売れる商品」だけが増えてしまいました。つまり「それなりに売れるよね」というような、無難なデザインなんです。私も経営者ですから、会社として売り上げを立てないといけないことはよくわかるのですが、やっぱりおもしろいデザインの商品がなくなってしまったなと感じていました。
いつの間にか、私自身もアクセサリーをつくる会社のディレクターとして、「売れる商品」をつくるようと部下に指示をしてしまうこともあって。しかし、これでは日本のアクセサリー業界が衰退してしまうのではないかと思い、若い世代のアクセサリーデザイナーや職人を育てたいなと思うようになりました。
そこで、海外を飛び回って買い集めた自分のコレクションを展示し、アクセサリーの歴史や製作技術が優れていると思うものをより多くの人に見てもらいたいと考えたのです。
花塚:なるほど。アクセサリー業界のため、ご自身のコレクションを展示されているのですね。
海外を飛び回って買い集めたとおっしゃっていましたが、よく海外へ買い付けに行っていたのですか?
田中:はい。はじめは父の勧めで海外へ買い付けに行ったというか、放り出されたというか(笑)。最初に海外へ買い付けに行ったのは、1968年くらい。その前の年に海外へ行った父が、「この景色は若い人にも見せなきゃいけない」と思ったらしく、次の年、私と主人をヨーロッパへ放り出したんです。でも、当時は日本から海外へ持ち出せるお金の上限が500ドル(当時で言う18万円程度)と決まっていましたし、クレジットカードも使えない、英語も話せない状態で20日間の旅はかなり苦労しました。
その後は持ち出せるお金の上限も増え、海外に行くことも簡単になったので1年に3回くらい買い付けに行っていました。そこで海外のアンティーク品や最新アクセサリーを買い集めたんです。ミュージアムでは、当時自社でつくっていたアクセサリーのデザインを参考にしていたものを展示しています。
ヴィクトリア時代から現代までの名作が揃う
花塚:そうした経緯もあって世界中、さまざまな世代のアクセサリーが集まっているのですね。
田中:そうですね。アクセサリーミュージアムの展示室は、ヴィクトリア時代から現代にいたるまで、年代ごとに部屋が分かれています。
花塚:なぜ、ヴィクトリア時代からなのでしょうか。
田中:宝石を使用しないアクセサリーの文化がちょうど盛んになった時期だからですね。当時のイギリスは世界7つの海を制覇してとてもお金持ちでした。貴族は植民地から入るお金で贅沢に暮らしていましたから、庶民からお金を取り上げる必要がなかったんです。おまけに国内では産業革命が起きて庶民もどんどんお金持ちになって、アクセサリーの文化が花ひらきました。この時代は特に真珠やカメオ、ジェットがとても流行しましたね。
田中:アクセサリーはもちろんですが、当時の洋服や骨董品、調度品なども展示しているので、年代ごとの流行もわかりやすいと思います。ファッションの歴史を観るという観点でもとてもおもしろいものが揃っていると思います。
田中:現在は常設展に加えて企画展「IN~ハンドバッグとその中身~」も開催中ですので、ぜひ観てみてくださいね。
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バッグを見れば世界の歴史がわかる アクセサリーミュージアム「IN ~ハンドバッグとその中身~」
- 美術館情報
- アクセサリーミュージアム
観覧料:1000円
開館時間:10:00〜17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日、第4・5日曜日、夏季・冬季(ホームページでご確認ください)
最寄り駅:祐天寺駅
HP: http://acce-museum.main.jp/
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