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コロナ禍になった今だからこそ見つけた「発見」——岸本裕紀子

見渡せば、いくつもの楽しみと、悲しみと、感謝と。

特集 春こそ、人生に祝福を! 2021.3.01

文:岸本裕紀子(エッセイスト)

新型コロナウイルスが流行し、新しい生活様式を取り入れて1年。最初は戸惑っていたステイホーム生活にも徐々に慣れ、感染を抑制するための行動があたり前になりつつある今だからこそ、感じられた「発見」があるでしょう。
そこで、『定年女子 60を過ぎて働くということ』(集英社文庫)など多くの著書を出し、活躍しているエッセイストの岸本裕紀子さんに、コロナ禍だからこそ感じられた「発見」について寄稿していただきました。

 

住んでいる街の再発見
—— “昭和の常識” の復活

 

コロナ禍のもとでの生活が始まって1年以上が経ちました。
昨年の3、4月ごろと今とでは、人々の新型コロナウイルスに関する知識も、恐怖の度合いも、街のあちこちでマスクや消毒液が買えるという状況も、大きく違っています。今は、各人が自分なりのコロナ対策をとり、コロナ禍のなかでの生活の様式を確立しているように感じます。

私がこのコロナ禍の状況で学んだこと、得た発見、よかったと思うことがあるとしたら、次のようなことです。

まず、近所のよさを見直しました。
それまでは、行動半径が広いのが好奇心旺盛かつ元気印とばかりに、評判になっている店でランチをし、流行の店を覘き、デパ地下などもよく利用しましたが、コロナでそれらはしばらくやめることにしました。
50歳前後あたりから歯医者や美容院などは歩いて通える距離でと、徐々にそういう体制を整えつつあったのですが、コロナになってからはほとんどすべての日常生活を近所で賄うようにしたのです。

近所に住む友人たちと、医者や地域の公的施設、商店などについて情報交換し、最寄りのスーパーやコンビニ、専門店を細かく見て回っては商品を把握しました。正直、コロナがなければ見逃していることも多かったですし、近所の力を大いに見直しました。それが、歩く楽しみにもつながったのはもちろんです。

思えば、今は老人ホームにいる昭和一桁生まれの母の日常や交友関係は、ほとんど徒歩圏内でした。それはとても安定していたし、楽しそうだったのを思い出し、自分は今、図らずも母の日常を追体験していると思ったものです。

朝、窓を開けて換気する、外から帰ったら手洗いとうがいを徹底する、など、コロナは昭和の常識の復活だなあ、とも思いましたね

 

日常のマイナスを1つずつゼロに戻す
——「いつかやらなくては」を片付けていく

 

次に、快適に過ごせるよう、家のなかを整えるようにしました。ステイホームの期間中、まずは家をゆったりくつろげる場所にしなければ、と考えたからです。

と言っても、断捨離をするのではないんです。そこがモノが多い我が家ではむずかしいところで、私は買い物が好きで、買ったものはどれも愛着があるので簡単には捨てられないわけです。
せいぜい、以前よりは丁寧に掃除をし、モノを整理し直して(その場所を記憶し)、家のなかにいても「あぁ、片付いていない……イライラ」から「好きなものに囲まれて幸せ」とちょっとでも思えるように、少しずつ家を整えていっています

たいしたことをしているわけではありません。今日はこの引き出しの整理、明日はレースのカーテンの洗濯、次の日は常備薬の確認というふうに、毎日1つずつ何かしら掃除・整理・見直しなどをしていったのです。こういったことは普段から心がけてやるべきなのですが、スローペースでも続けていったことで、家が少しずつ生き返ってきたような気がしました

これに関連して——。「いつかはやらなくては、と思いながら、なかなかできなかった細かなこと」をひとつずつ片付けていきました。

たとえば、着物の帯の仕立て直し。私は普段から着物を着るのですが、リサイクル着物店で買った昔の帯などは、短い場合が多いんです。せっかく買ったのに使えていない帯がいくつかありました。

着物の仕立て直しはプロの人にお願いしているけれど、2000円くらいで買った帯を何千円もかけて長くするのは、どう考えてももったいない。そこで、自分で仕立て直しをすることに。帯のお太鼓の返しの部分を少し切って、その布地を継ぎ足したりしました。

3本ほど直したでしょうか。手芸系の作業は案外おもしろくて(といってもマスクは1枚も縫いませんでしたが)、ほかにも、プラスチックボタンを貝ボタンに総取り換えするなどのチマチマしたことを見つけ出しては、やっていました。

よく雑誌やインターネット、テレビなどで紹介されている「オシャレなおうち時間」ということからは、ほど遠いアレコレ。それでも、日常の小さなストレスはずいぶん減った気がします

考えてみれば、ステイホームの期間中、私はプラスをつくり出すより、単にマイナスを減らしていくことに専念していたわけです

私の知り合いのなかには、この約1年間で徹底的な断捨離を行い、着ない服やブランド物などメルカリに出しまくり、3畳分程度のモノを処分した人、リモートワークで空いた時間にランニングをして4kg痩せた人、外国語のレッスンを始めて今も続けている人、YouTubeで海外の有名バレエダンサーの特別レッスンを受けた人など、華やかで有意義な時間の使い方をしていた人たちがいます。

私は彼女たちのように、「コロナだからと言って、時間は1秒たりとて無駄にしないわよ」という前向きな気持ちにはなれませんでした。

それでも、何とか自分なりの家庭生活や仕事、体調、メンタルを維持しつつ、快適に気持ちよく暮らせるように生活をつくっていったのだと思います

 

便利で楽しい日常の裏側には、それを支える誰かがいたこと
——便利を支える誰かがいたことに気づく

 

そういえば、ステイホーム期間中に、1つ復活したことがありました。長電話です。昔はずいぶん長電話をしたものでしたが、ここ15年くらい、メールやLINEが主流になって、長電話からは遠ざかっていました。それが、コロナで人に会えないということもあり、友人たちと再び長電話でお喋りするようになったんです。

もう1つの楽しみは読書でしょうか。私は夜寝る前にベッドで1時間くらい、小説を読むのを習慣にしていたのですが、その夜の読書時間を延ばして、この1年間で100冊近く本を読んだと思います。

なかでも、70歳を過ぎたら読もうと楽しみにとっておいた池波正太郎の『剣客商売』と『鬼平犯科帳』のシリーズを、番外編も含めてすべて読んだことは小さな達成感につながりました。

「70歳を過ぎたら……」などと、のんびりしたことは言っていられない、先伸ばしはダメ、今やりたいことは今やるしかないんです。なぜなら、人生には予想もしなかったことが降りかかることもある——それもコロナで学んだことでしょうか

しかし、このようなお気楽な毎日を送ってこれたのも、私が現在60代後半の、まずまず健康で時間がたっぷりあるリタイア世代だからです。

この世代の多くの人に共通しているのは、それまでの生活とコロナ禍での生活において大きな変化はない、ということ。その前提に立っての “新しい日常” ということを認識する必要があると思います。

何歳で、どのような立場で新型コロナウイルスに遭遇したのか、それによりどう人生が変わっていったのか、については、今後、数多くの事例とともにさまざまな検証がなされるでしょう。

コロナ禍の不況により職を失い、新たな仕事探しをしなければならない人、商売がやっと軌道に乗ってきたところだったのに見通しが立たなくなってしまった人。
日本全国、コロナ禍で打撃を受けた業界で仕事をしている人は本当に多いですし、この劇的な社会変化は何と重く、非情なのだろうと思います。

うちの近所でも、この1年間で何軒かが店を閉じましたが、シャッターに貼ってある「閉店のお知らせ」の貼り紙を見るたびに、淋しく切ない思いにとらわれました。

同時に、そのような厳しい状況下でも、なんとか工夫して商売を維持し、仕事を続けていこうとする努力もずいぶん目にしました。休日返上で危険と隣り合わせになって働いていらっしゃる医療従事者の姿を知ったことも大きなことです。
あらためて、世の中がそのようなたくさんの人々で成り立っていること、そのなかで自分は便利で楽しい日常を送ってこれたということを思い、感謝する気持ちになりました

ようやく、春になりましたね。ワクチンも始まりました。私も巣作り的なコロナ禍での日常に少し、新しいものを加えたくなってきました。

 

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岸本裕紀子

1953年生まれ。慶應義塾大学卒業。集英社入社、ノンノ編集部勤務。そののち、渡米。ニューヨーク大学、修士課程修了。帰国後、30代半ばでエッセイストとして活動を始める。著書多数。
岸本裕紀子

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