「甘い」チョコレートの、知られざる「苦い」歴史
神々への捧げ物から大衆の食べ物に
文:出口夢々
人々を虜にしてやまないチョコレート。仕事や家事のあいだに1つ食べて元気を出したり、自分へのごほうびとして特別なチョコレートを買ったり、大切な人への贈り物として選んだり……。そんな、私たちの生活にしっかり根づいているチョコレートですが、その歴史はご存知ですか? 今日はお菓子を愛してやまない編集部の出口が、みなさんをチョコレートの世界に誘います。
カカオは神々の食べ物だった
チョコレートの歴史の始まりは、約1770年前にまでさかのぼります。その舞台は、高度な文明で栄えたマヤ文明やアステカ文明が発展した地——中米のメキシコ付近や南米北部に広がるオリノコ川、アマゾン川上流域の森林地帯です。チョコレートの原料となるのはカカオという植物の種子ですが、実はこのカカオの原産がこのあたりの地域となります。カカオと聞くと、ガーナやマダガスカルなどアフリカの地名を想起する人が多いかもしれませんが、もとは中南米に生息する植物なのです。
カカオの学名は、「テオブロマ・カカオ」。テオブロマとは、ギリシア語で「神々の食べ物」という意味で、その名のとおり、カカオ豆は神々の捧げ物や宗教儀式にも使用される神聖な食べ物でした。
マヤ文明やアステカ文明の人々は、カカオ豆を使って「チョコラトル」という飲み物をつくっていたと言われています。そして、このチョコラトルが現在私たちが親しんでいるチョコレートの起源なのです。
チョコラトルは、カカオ豆をペースト状になるまですり潰し、そこに水と混ぜてつくられます。そのままではとても苦いので、そこへ焼いたとうもろこしの練り粉やはちみつ、バニラ、唐辛子などの香辛料を加えて、味を整えていました。当時はまだ、砂糖などの甘味料がなかったのです。
そうして出来上がった液体を、高い位置から何度も2つの容器のあいだでつぎ替え、よく泡立たせてから完成となります。こうすることで、液体が空気を含み、口あたりのよい飲み物となるのです。
このように、チョコラトルは調理の工程が多く、手間暇のかかる飲み物です。また、カカオ豆は栽培地が限られているため、とても貴重なもの。そのため、当時チョコラトルを飲めたのは、王族や貴族、戦士など、一部の特殊な身分の人々に限られており、彼らにとってチョコラトルは特別な嗜好品でした。
大航海時代にヨーロッパへ到来
限られた場所で、特別な人々だけに飲まれていたチョコラトルですが、その存在は15世紀半ばにヨーロッパに伝わります。スペインのフェルナンド・コルテスがチョコラトルを発見したのです。
15世紀半ば、ヨーロッパの国々では、インドやアジア、アメリカ大陸などへの植民地主義的な海外進出——大航海時代が始まりました。チョコラトルを飲む文化のあったアステカ帝国やマヤ文明が発展していたユカタン半島は、スペインによって征服されます。
そして、1519年、スペインのフェルナンド・コルテスが数百人の兵士を率いてアステカ帝国に侵入し、都・テノチティトランに到着。そこで当時のアステカの王、モンテスマがチョコラトルを飲んでいる場面に遭遇したのです。コルテス一行は、カカオ豆とチョコラトルの情報をヨーロッパへ持ち帰り、16世紀後半にはチョコラトルに砂糖を加え甘くした「ホットチョコレート」がスペインに浸透していったのでした。
スペインでカカオ豆が普及したものの、高価な到来物であるカカオを楽しめるのは、貴族や聖職者などの富裕層だけで、やはり一部の人々に限られていました。また、チョコラトルを発見したスペインは国外にその存在を持ち出さず、発見後100年にわたり秘密の嗜好品として国内で楽しんでいました。
スペインで独占的に愉しまれていたホットチョコレートは、1605年にスペイン宮廷に仕えていたイタリア人、アントニオ・カルロッティによってイタリアへ、1615年に当時のスペイン王女アナがフランスのルイ13世と結婚したことでフランスへ流出します。
さらに、1660年には大のホットチョコレート好きだったスペインのマリア・テレサがフランスのルイ14世と結婚したことで、フランス宮廷の女性たちのあいだでホットチョコレートが流行しました。彼女たちは、ホットチョコレートを飲むためのポットやカップにこだわり、次第に専用のチョコレートポットと取手のついたチョコレートカップでホットチョコレートを愉しむようになるのです。
当時のフランスでは、カカオ豆の加工や販売には独占権が設けられ、特定の業者しか取り扱えないため、非常に高価なものでした。しかし、1693年にはカカオ豆の取引やチョコレートの製造販売が自由化され、市民層にもホットチョコレートが広まります。
17世紀半ばになると、ヨーロッパの市民階級が力を持つようになり、市民の情報交換の場としてチョコレートハウスに人が集うようになりました。チョコレートハウスとは、ホットチョコレートを楽しめるカフェのようなものです。
ここまでお話してきたチョコレートはすべて液体状のもの。固形のチョコレートができたのは1848年と、ヨーロッパにカカオ豆が到来してから約300年後のことでした。
チョコレート製造会社を営んでいたイギリスのジョセフ・フライが、ココアを生産するときに出るココアバターにカカオマスを加えることで、固形チョコレートを製造する技術を開発したのです。この開発を皮切りに、各地でチョコレート製造が活発化していきました。
フライの功績で固形のチョコレートがつくられるようになりましたが、砂糖やカカオの粒が口に残る、口あたりの悪いものであったため、ホットチョコレートやココア飲料のほうが人気がありました。
そんななか、舌触りのよいチョコレートが生まれます。スイスのルドルフ・リンツが開発したのです。菓子職人だったルドルフは、なめらかな舌触りのチョコレートを生み出そうと、日々研究していました。しかし、なかなかうまくいきません。そんなある週末、チョコレートを入れた機械を稼働させたまま、ルドルフは帰宅してしまいます。72時間後、工場にルドルフが戻ると、なんと自分が思い描いていたなめらかなチョコレートが出来上がっていたのです。
こうして、現在私たちが日常的に食べている、甘くなめらかなチョコレートが生まれたのでした。
日本人とチョコレートの出会い
そんなチョコレートが日本にはじめて伝わったのは、18世紀末のこと。おおよそ1790年、若き家斉が徳川11代将軍となって間もなくのころでした。当時、鎖国状態にあった日本ですが、唯一外国との接点があった長崎にオランダから「しょくらとを」という名前で伝来したのです。
「しょくらとを」がはじめて販売されたのは、1877年、明治時代になって10年経ったときのこと。「猪口令糖」と漢字があてられ、人々のあいだに伝わっていきました。
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まだデータがありません。
カカオ豆が多いほど栄養価が高いと思って75%位のを買った事がありますが美味しいとは程遠く やっぱりチョコレートは甘いに限りますね
私も、ビターチョコレートのほうが健康にいいと知っていながらも、ついついミルクチョコレートを買ってしまいます😂 甘いほうがおいしいし、疲れも吹っ飛ぶ気がしますよね!