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何をもって「死」なのか?

実はあいまいな「死」の基準

特集 今こそ、死の話をしよう 2021.1.22

取材・文:花塚水結

一口に「死」といっても、何をもって「死」なのかはあいまいです。
家族にとっては、「その人と二度と会えないこと」であったりするでしょうし、自分にとっては「すべてのことが二度でできなくなること」であったりするでしょう。

一方で、第三者の立場で見れば、医療ドラマなどで医者が「〇時〇分、お亡くなりになりました」などと言って、死亡判断を家族に伝えるシーンをよく見ます。第三者の立場であれば、それをもって「ああ、死んだんだな」と思います。
では、そもそも何を基準にして「死」を判断しているのでしょうか。
千葉大学大学院法医学教室教授で解剖医の岩瀬博太郎先生に、医学的な「死」とは何かを伺いました。

 

「死」とは二度と元には戻らない状態のこと

花塚:「死」とはどのような事象か教えてください。

岩瀬医学的に「死」とは、生きている状態に戻らない状態を指します
とは言っても、誰かが亡くなった後に「死ってこういうものだったよ」と説明してくれるわけではないので、あくまでも、人間が二度と生き生きと動いたり、しゃべったりすることがない限界点を客観的に見て決めています。

花塚:その限界点を客観的に判断する際、どのようなことが基準となるのでしょうか?

岩瀬:「死」を客観的な視点で線引きするとなったときに、医学的には「死の三徴候」を基準としています。
死の三徴候とは、「瞳孔散大」「呼吸停止」「心肺停止」のことを指しますが、そのすべてが確認できたとき、一般的によみがえることはないと、長い医学の歴史のなかで経験則的にわかっているので、この基準になっています。
ただし、三徴候を確認した直後ではまだよみがえる事態が多発するので、ある程度の時間をおいてからの死亡判断になります

花塚:よ、よみがえることがあるのですか!?

岩瀬:はい。三徴候を確認して数分程度で判断してしまうと、よみがえるケースは多発してしまうと思います。三徴候を確認した直後は、亡くなったように見えても息を吹き返す可能性がある状態で、「仮死状態」と言います。ですから、三徴候が確認できる状態になってある程度時間が経過してから死亡確認をしているのです。

花塚:仮死状態から蘇生した後、普通に生活できることもあるのですか?

岩瀬:条件によってですが、そうしたケースもあります。
以前、子どもが冬にプールに落ちて溺れてしまい何時間も水のなかにいて死んでいるように見えたけど、引き揚げてからしばらくすると息を吹き返し、前と変わらず元気になったという例もありました。この場合、水のなかにいた時間は仮死状態だったわけです。仮死状態とは本当の死ではなくて「蘇生の余地がある状態」のことを指します

一方、細胞や組織レベルでの死は、部位によっては個体の死より遅れて発生しています。たとえば、患者さんの心臓が止まった後、呼吸停止と瞳孔散大を確認しても、再び心電図が「ピコン」と鳴って心臓が動くこともあります。

花塚:心臓が止まったと判断するのがむずかしいのですね。

岩瀬:はい。そうなると、今度は「心臓が止まっている基準」をどのように設定するべきなのか、という問題にもなります。一応、医学的には規則的な動きをしていれば心臓は正常に動いていると判断し、不規則な動きは「心室細動」と言って、心臓は止まったと認識しているのです。しかし、動きが止まっているとはいえ、まだ心臓の一部の細胞自体は生きていますから、それで心臓全体が死んだとは判断できないんですよね。特に、心電図を見ていると死亡の判断がむずかしいことがあります。

花塚:「人が死んだ」と判断するのは、いろいろとむずかしいものなのですね……。
よく、医療ドラマなどでは心電図が止まった直後、医者が瞳孔を確認してすぐに死亡判断をしているシーンを見ますが、現実にはそのようにいかない。

岩瀬:ドラマでは演出上そのようになっているのでしょうが、リアルな医療現場ではあり得ないですね(笑)

 

脳死と植物状態は脳が機能している部分が異なる

花塚:死の三徴候によって死亡判断される以外に、脳死も1つの死のかたちだと思いますが、植物状態とはどのような点が異なるのでしょうか?

岩瀬2つの違いは、脳の脳幹部が生きているか否かです
植物状態は脳の脳幹部が生きていて、脳幹部が担っている呼吸中枢などが機能しているため、自発的に呼吸しているけど、意識が戻らない状態のこと。
一方、脳死は脳幹部含めて脳全体が死んでいるので、意識がなく自発呼吸もできない状態を指します。脳死は人工呼吸器が開発されたからこそできた死のかたちと言ってもいいでしょう

花塚:脳が機能している部分で違いが生まれるのですね。
脳幹部が生きていることは、どのように判断しているのですか?

岩瀬:脳死と考えられる状態になった場合、医学的には脳死であるかの確認を行うことになっていて、音を聞かせて脳波が出るかなど、反射を見て判断します。脳幹部が生きていれば反射が起こるだろうと考えられているので、反射がなければ脳死と判断しています。
ただ、日によって反射が出る日と出ない日もあるようで、どこからが脳死なのか、判断に苦しむこともあるようです。

花塚:少しでも反射ができるのであれば、「生きていると考えたい」と思ってしまいますからね……。

岩瀬:そう思う方もいらっしゃるでしょうね。
それから、先ほど花塚さんは「脳死」も1つの死のかたちだと言っていましたが、脳死を人間の死とすべきかは個人や国、宗教によって考え方が異なります。脳死状態は生きていると捉える人と、死んでいると捉える人がいて、臓器移植を行うかなどさまざまな問題に発展することも考えられるので、脳死について法律で定めているんです
日本では、「限定脳死説」という方針をとっていて、臓器移植のドナーになる場合のみ脳死と判断されて、ドナーにならない場合は死の三徴候をもって死としなければいけないという切り分けになっています。

 

個体の死と細胞の死

花塚:脳死や植物状態は、脳の一部が死んで機能していない状態ですよね。でも、見方によって人間の臓器の一部が生きているということは、細胞の死と個体の死は異なるのでしょうか?

岩瀬:そうですね、異なります。

花塚:人間の死後、体中の細胞はどのくらい生きているのでしょうか?

岩瀬:個体の死後、体中の細胞がどのくらいの期間生きているのかは、医学的に解明されているわけではありません。ですが、臓器や周囲の条件によっては1日くらいは生きているのではないでしょうか
私が司法解剖を行った例ですが、斬首のような亡くなり方をしたご遺体を解剖したことがあります。亡くなって1日が経過していたのですが、解剖してみるとまだ心臓がピクピク動いていたのです。ですから、個体の死と体中の細胞の死にはズレが生じていることが明らかです。

花塚:もしかしたら、火葬する間際まで生きている細胞があるかもしれないとも考えられますね。

岩瀬:可能性はあるかもしれません。ですが、すべての細胞の死をもって個体の死とすると、体中の細胞が死ぬことをどう確認したらいいのかなどの問題が生じてきます。また、体中の細胞が生きているか死んでいるかを確認する方法が現在はありませんから、あくまでも死の三徴候などで他覚的に見て死を判断しているだけなんですよね。
それから、脳死のようにある程度法律で死を定義しておかないと、ほかにもさまざまな問題に発展することが考えられます。

花塚:たとえば、どのような問題が起こるのでしょうか?

岩瀬:ある宗教団体でご遺体を「まだ生きている」として、1カ月ほど安置していたという事件がありました。警察により発見されたときにはご遺体の腐敗が進み虫も湧いていたそうですが、それでも宗教団体は「生きている」と考え、ご遺体が解剖されると「解剖医が殺した」などと主張していたそうです。

花塚:死に対する考え方は人それぞれだからこそ、統一されたルールが必要になってくるのですね。

岩瀬:必要だと思いますね。
それから、死に関連した話として、これからの時代はかかりつけ医をしっかり決めておくことが大事だと思います

花塚:かかりつけ医と死に、何か関係があるのでしょうか?

岩瀬:自宅で亡くなった場合、死因が明らかでない場合は警察を呼んで検視をしなければなりませんが、そのことに対して抵抗がある医師や家族もいます。
しかし、かかりつけ医を決めおいて、しっかり看取ってもらい、死亡判断をしてもらえば、済む問題なのです。かかりつけ医を決めている人が少ないからこそ警察の御厄介になってしまうことが多いのですが、この事実を無視して警察の関与に反発しているだけでは、問題の解決にはなりません。

家族の「死」に際して問題が起こってしまうのは悲しいことです。自分の「死」を適切に判断してもらうためにも、自宅で看取ってもらいたい方は、ぜひかかりつけ医を決めておいてほしいと思います。

「死」について、何か考えたことがある方は、ぜひコメント欄で教えてください。

 

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岩瀬博太郎

1967年千葉県生まれ。千葉大学大学院教授、解剖医。東京大学医学部卒業、同大学法医学教室を経て2003年より現職。14年より東京大学法医学講座も兼務。日本法医学会理事。内閣府「死因究明等推進計画検討会」委員。著書に『死体は今日も泣いている 日本の「死因」はウソだらけ』(光文社新書)など。
岩瀬博太郎

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