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時代や宗教によって変わる世界の弔いの文化

位牌と仏壇が併存するのは日本だけ!?

特集 今こそ、死の話をしよう 2021.1.20

取材・文:出口夢々

木の根元に骨を埋める樹木葬や、骨を海に撒く散骨など、近年、新たな供養の方法が登場してきました。そこで、そもそも「供養」とは何なのか、視点を世界規模に移したときにどのような弔いがなされているのか、上智大学グリーフケア研究所所長の島薗 進先生に伺いました。

 

複合的な要素が絡んだ日本の弔い

 

出口:現在、日本では、散骨や樹木葬に限らず、手元供養や宇宙葬などさまざまな供養の文化が生まれています。そもそも「供養」とはどのような行為なのでしょうか?

島薗:「供養」は仏教用語なのですが、日本では宗教的な背景はあまり意識せずに、死者へ祈りを捧げることを「供養」だと認識していると思います。それは間違いではないのですが、先祖をこれほどまでに大事にするのは、実は儒教的な考えも影響しています。また、アニミズム的な要素も相まって弔いの儀式が手厚くなっています。

出口:文化的・宗教的背景が複合的に絡み合って、日本の供養のかたちができたのですね。

島薗:そうですね。ところで、出口さんはどのようなときに手を合わせますか?

出口:うーん……。お墓参りをしたときや、友人の家に遊びに行って仏壇や位牌を目にしたときに手を合わせますね。

島薗:お墓参りはどのようなときにしますか

出口:実家の近くにあるお墓は、15年ほど前に亡くなったおじいちゃんのために新しく建てたものなのですが、おじいちゃんの命日はもちろん、お盆やお正月、おじいちゃんの誕生日など、すごく頻繁に行っていますね。実家に住んでいたころは、散歩がてらほとんど毎日お墓に行って、手を合わせていました。なんとなく、そこにおじいちゃんがいるような気がするんですよね。

島薗その「お墓に行くと故人の存在を感じる」というのは、アニミズムや、仏教や儒教の文化的思考なんです。キリスト教(プロテスタント)やユダヤ教など一神教の宗教では、神だけが祈りの対象になります。亡くなった人は死後、静かに眠り、最後の審判のときに蘇り、天国か地獄に行くかが決まると考えられているので、お墓に死者の魂があるとは思わないんですよ。また、死者を弔い続けるのは偶像崇拝とみなされるんです。

ただし、キリスト教でも、カトリックや東方キリスト教は死者の日などにお墓参りをする文化があります。先日も次期アメリカ大統領のバイデン氏がお墓参りをしている映像がテレビで流れていましたよね。このように、同じ宗教でも宗派が異なれば弔いのあり方も異なるんです

出口:亡くなった人への気持ちが薄い/厚いというわけではなく、根本的な考え方や感じ方が、宗教ごとにそんなにも異なるんですね。

島薗:ちなみに、「お墓を残さない」という文化もありますよ。

出口:えっ、遺体や遺骨はどのように扱うんですか?

島薗:サウジアラビアはイスラム教の国で、イスラム教は土葬が主流ですが、墓標を置かない場合もあります。また、仏教が優勢なモンゴルでは風葬を行うのが普通です。草原に遺体を置いておいて、動物が遺体を食べたりすることで、自然となくなるのを待つわけですね。待つと言っても、風化しているかどうかを見にいくわけではありませんから、置いてそこで終わりになります。日本人の感覚からしたら少しぞんざいな印象を受けるかもしれませんが、それが立派な弔いのかたちなんです。

また、日本だと遺体を火葬して、遺骨をお墓に納めるケースがほとんどですが、世界的に見ると火葬をしたら灰となった遺骨は自然に還すのが主流なんです。これはインドに伝わる古くからの考え方なのですが、輪廻転生という言葉からわかるように、人間は大自然を構成する1つの要素で、その循環のなかで生きているので、死後は何か別のものに変わっていくと考えられているんです。そのため、遺骨は川に流すのですね。

 

泣くことで死者と共鳴する

 

島薗:昔、日本にもとても興味深い弔いの文化があったんです。沖縄は首里城の様相からもわかるように中国の影響を大きく受けている地域ですが、中国から沖縄の旧支配層によって受け入れられた、共通の始祖をもつ父兄血縁で親族が集まる制度である門中は、とても大きなお墓を建てるんです。糸満市にある門中のお墓は5400平方メートルもの土地にいくつかの大きなお墓があって、その大きさはこの世での威厳を示しているんですね。その威厳をあの世まで持っていくという意味もあります。

出口:5400平方メートルと言うと、学校の校庭くらいでしょうか。そんなに広い土地に大きなお墓を建てるんですんね。

島薗:また、沖縄には洗骨と呼ばれる弔いの文化もあります。遺体が腐敗した後に残った骨を洗うんです。骨を洗うことで、死者への弔いの気持ちを表していたようですよ。また、洗ができるのは女性だけ。沖縄では女性は霊的な存在だと考えられていたので、女性が洗骨の役割を担っていたんです。

また、沖縄や奄美には、しばらく前まで、女性たちが歌うように哭く習俗がありました。亡くなった人がいたら、その人のところへ行って哭くんです。

出口:知らない人のお葬式で泣くのですか……?

島薗:そうです、泣くと言っても声を上げて歌のように叫びながら「哭く」んです。わんわん声を上げて哭くことで、死んだ人へ自分たちの弔いの気持ちを知らせたり、死者の悲しみと共鳴する意味があったのだと考えられています。アミニズム的な文化ですね。

アイルランドの田舎でもこのような「哭く」文化があって、それは20世紀まで残っていたと言われています。文明化が進む前までは、よく見られていた文化のようです。文明化が進み、さまざまな物事が科学的に解明されたことで、何事に対しても理性的な感情を抱くことが多くなったように思います。それとともに、自分たちの感情を抑制するようになっていったと思うんです。本来、人が亡くなったときに泣くことで、悲しさを表現するとともに、「人が亡くなって悲しい」という気持ちを自覚する役割もあったはずです。

出口:確かに、小さいころは親戚が亡くなると声を上げて泣きましたが、最近は感情を表に出すことが恥ずかしいとも思ってしまいます。ですが、考えてみれば何も恥ずかしがる必要はないんですよね。

 

弔いのかたちは変化するもの

 

島薗:冒頭で出口さんが言ったように、現在、さまざまな供養のかたちが生まれています。これは日本に限った話ではなく、世界各国で地域や一族、集団が継承してきた弔いの文化が次の代に伝わらず、「自分なりの弔い方で弔う」という考え方が増えてきつつあるからで

これは個人化が進んできたことが影響しています。アメリカやヨーロッパの西洋社会でも、亡くなった家族の写真を家に置いて弔いの気持ちを表す人が増えてきています。信仰している宗教にかかわらず、「故人の存在を近くで感じたい」という思いを抱く人が増えてきているわけです。このように、宗教や集団の枠を超えて、新たな弔いのかたちが生まれています。ですので、それを否定するのではなく、現代的なものとして受け止め、伝統的なものの意味を捉え直していく時代になっているのではないでしょうか。

 

みなさんは、亡くなった方をどのように弔われていますか? コメント欄で教えてください。

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島薗 進

上智大学グリーフケア研究所所長。東京大学名誉教授。1948年東京生まれ。東京大学卒。筑波大学哲学思想学系研究員、東京外国語大学助手・助教授を経て、東京大学大学院人文社会系研究科宗教学宗教史学専攻教授。専門は近代日本宗教史、宗教理論、死生学、生命倫理。『国家神道と日本人』(岩波書店)、『日本人の死生観を読む』(朝日選書)、『新宗教を問う』(ちくま新書)など著書多数。
島薗 進

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