どうして「みんな」がいれば安心するの?
なぜ嫌なことがあっても、あの井戸端会議に行きたくなるのか
取材・文:出口夢々
「あそこに行ったら意地悪をされる」「どうせ陰では私の悪口を言っているんだろうな……」――集まりに行ったらそう感じてしまうのに、なぜかまた行ってしまう。そんな井戸端会議につい参加してしまう人もいるのではないでしょうか?
そこで、精神科医で泉谷クリニックの院長・泉谷閑示先生に取材。なぜ嫌なことがあってもあの井戸端会議に行きたくなるのか、どうして「みんな」がいれば安心するのかを伺いました。
みんながいると安心する理由はムラ八分が怖いから
出口:嫌な思いをしてもその集まりに行ってしまうのはなぜでしょうか?
泉谷:行かなくなったら、もっと嫌な思いをする羽目になると、心のどこかで思っているからです。これには、日本特有の「世間」が関係しています。出口さん、社会と世間の違いはわかりますか?
出口:えっ、一緒ではないんですか?
泉谷:別物ですよ。社会は個人から、世間は構成員から成り立つものです。そもそも、「社会」という言葉が日本に入っていたのは明治時代のこと。「society」を和訳して「社会」という言葉ができたんです。
明治維新が起きて、法整備が進み、欧米のように「社会」を形成しようとしましたが、これがうまくいかなかったんですよね。それもそのはず。それまで「社会」という言葉すらなかったので、日本人はそれを感覚として理解することができないわけです。その結果、ずっと私たちの生活に根づいていた「世間」が今も支配しているんですよ。
出口:なるほど……。社会は建前のようなものなんですね。
泉谷:そうです。「世間でどう思われるか」という思いが我々の頭には刷り込まれているんですよ。だから、ある意味では法律よりも世間のルールのほうが力を持っているともいえます。
新型コロナウイルスの流行拡大により欧米では外出禁止令が法令として出されましたが、日本は外出自粛要請でしたよね。それは、世間のルールが行き届いているからです。先ほどいったように、世間は構成員から成り立つもの。そして構成員は「同質であること」が求められます。だから、自粛要請が出たのに営業しているパチンコ店の存在を許せないわけです。
出口:「同質であること」という暗黙の了解のもと、世間がつくられているのですね。
泉谷:また、世間では「タテの秩序」があります。タテの秩序は以下の4要素から構成されます。
出口:サークルや会社で「年功序列」が重要視されるのは、タテの秩序を構成する要素のうちの1つだからなんですね。
泉谷:そうです。そして、これらの4つの要素によって、その世間におけるカーストが形成されます。だから、世間においてカーストが生じないことはないんですよ。
出口:ということは、世間に所属する限りカーストに組み込まれてしまう、と……?
泉谷:そういうことです。だから、ご近所さんたちとの井戸端会議で邪険にされているなと感じる人や、サークルで嫌な思いをしている人は、そこから脱出するしかありません。
出口:なかなか勇気のいる行動ですね。その場に行かなくなったら、それはそれで悪口を言われそうです。
泉谷:そう、その「ムラ八分」を恐れる気持ちが脱出を妨げているんですよ。でも、ムラ八分は村に所属している人たちのあいだでしかできませんよね? だから、自主的にムラからいなくなれば、ムラ八分はないんです。ただ、悪口を言われるだけ。
そもそも、ムラでは連帯感を育むためにカーストの下層にいる人をターゲットとして吊るし上げる習性があります。無理やりにでも1人敵をつくって、ほか全員でその人をいじめることで結束が生まれる。だから、ムラでの主な会話は悪口になるんです。
考えてみてください、そんなコミュニティ、くだらなくないですか?
感情のごまかしは依存症のメカニズムと同じ
出口:くだらないですね……。でも、そう思っていても行ってしまう気持ちもわかります。家で1人でいるのはさみしいし、どうせ1人でいるくらいなら、みんながいたほうがいいかなって。
泉谷:そうですね、さみしさはありますよね。でも、ムラに行ってもさみしさはごまかされるだけ。ほんとうの意味で満足することはないんです。この「感情をごまかす」という行為は、依存症が発生するメカニズムと同じです。
出口:えっ! ごまかしと依存が同じ原理なんですか?
泉谷:依存症が加速するのって、結局、代理のもので満たしているからなんですよ。人生のむなしさをアルコールでごまかしたらアルコール依存症になりますし、自分で自分を満たせていないから人に依存してしまう。自分で自分を満たせないから、ムラに行って群れることで、「私は1人じゃない」と思う。
そうやって、代替品で自分の感情をごまかしているから、ほんとうの解決にはいたらないんですよ。だから、さみしさを感じている人は、自分で自分を愛せるようになるといいですね。
出口:「自分で自分を愛する」って、すごくむずかしいですよね。私、自己肯定感低くて……。
泉谷:むずかしいとおっしゃいますけど、あなたが赤ちゃんのころから心のなかには自分で自分のことを愛するシステムがあるんですよ。ですが、たいていは親との関係性によってそのシステムが阻害され、自分をうまく愛せなくなっているケースが多いんです。
また、自分をうまく愛せない理由には、「自分らしさ」が失われてしまっているからだとも考えられます。そして、自分らしさは、感覚や感情が自然に動いていないと形成されません。
出口さんは、自分の嫌いなものは何かいえますか?
出口:嫌いなものですか……。そういうネガティブな感情は抱いてはいけないと思って、あまり考えないようにしているので、すぐには出てこないですね……。
泉谷:その、「嫌い」や「怒り」などを悪いものだとみなす考え方がよくないですね。何かを嫌だと思う感情って、とっても大切なんですよ? だって考えてみてください、子どもの自我は最初にイヤイヤ期を経てから徐々に形成されますよね?
出口:たしかに……。それに、「嫌い」があるから、「好き」がわかるわけですもんね。
泉谷:そうです。磁石のN極とS極のように、好きと嫌いという感情が存在しています。切っても切り離せないし、どちらかが失われたらもう一方も存在できなくなる。だから、何かを嫌だと思う感情を大切にしないと、好きもわかならなくなって、結果的に自我が不透明になってしまうんですよ。そして感情を否定するから感覚がにぶくなり、嫌なことを嫌だと、好きなものを好きと認識できなくなる。
だから、まずは世間で「ネガティブ」だと言われている感情を大切にしてみてください。自分にとって嫌だと思うことは何か、怒りが湧くものは何かを考えて、その感覚を大事にする。そうすることで、ほんとうに好きなものもわかるし、自分らしさが芽生える。そうなると、自分らしさを否定されるムラのルールに合わせることのほうが苦しくなると思うんです。
出口:苦しくなったら、そこには行きたくなくなりますね。
泉谷:そうです。この段階にきたら、ムラ八分が怖いとも思わないですよ。だから自分のなかで後腐れなく、そこから脱却できる。もしかしたら、感覚がにぶくなりすぎていて、自分がその村で嫌な思いをしていることに気づいていない人もいるかもしれません。
だから、この記事を読んだ人はみんな、自分の嫌なことは何か、その感情を否定せずに考えてみてください。嫌だと思うことがわかれば、好きなことが見えてきます。そして、好きだと思えるものに力を注ぐようにしてください。そうすることで、豊かな暮らしができ、自分を愛せるようになりますよ。
コメント欄で、自分の嫌いなことは何か教えてください!
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泉谷閑示
精神科医、作曲家、演出家。東北大学医学部卒業。精神療法専門の泉谷クリニック(東京/広尾)院長。企業や一般向けの講演、国内外のTV出演など精力的に活動中。著書に「『普通』がいいという病」「反教育論~猿の思考から超猿の思考へ~」(講談社現代新書)、 『あなたの人生が変わる対話術』(講談社+α文庫)、『仕事なんか生きがいにするな〜生きる意味を再び考える〜』(幻冬舎新書)、「『私』を生きるための言葉-日本語と個人主義ー」(研究社)、「『心=身体』の声を聴く」(青灯社)、「本物の思考力を磨くための音楽学」(yamaha music media)など多数。CD「忘れられし歌 Ariettes Oubliées」(KING RECORDS)が好評発売中。詳細は泉谷セミナー事務局まで。
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思い通りにならないこと
不正
楽しくないこと
コメントありがとうございます!
「楽しくないこと」というのがとても印象に残りました。
思い返してみると、私自身、「楽しくないけど、なんとなくやっているな」とぼんやり思いながら行っていることが結構あるかもしれません。
りえさんのおかげで、「私にとって楽しくないことは何か」を考えるきっかけになりました。ありがとうございます……!
またコメントしていただけると嬉しいです!