今読みたい!川上未映子『夏物語』
すべての女性に贈る至高の物語
文:出口夢々
編集部が新刊本を紹介する連載「ZIEL編集部が選ぶ 今、読みたい本」。毎月の特集テーマと関連のある内容のものを選び、紹介していきます。
第11回目に紹介するのは、2021年8月3日に発売された川上未映子の『夏物語』。小説家の主人公・夏目夏子が子を持つか否か葛藤しながらも、前を向いて生きる姿に心が揺さぶられる作品です。
“究極の一体感” を体現した作品
コロナ禍になってから新しくできた趣味がある。サウナだ。100℃前後に熱された部屋でじーっと体をあたため、「限界だ!」と思ったところで水風呂へと向かう。適度に冷たい水のなかで体を冷やすのは何事にも代えがたいほどの快感で、頭のなかから手足のすみずみまでとろけていく。でも、水風呂に浸かりすぎると体を冷やしすぎてしまうので、適当なところで切り上げ、椅子に座ってぼーっとする。
サウナのことを書こうとすると、じーっと、とか、ぼーっと、とか、そんな言葉ばかりで、とにかく何もしていない……。サウナはあついし、水風呂は冷たいので、思考が止まる。とにかく感覚的な世界なのだ。
先日もいつもどおり椅子に座ってぼーっとしていたら、急に思考が飛び込んできた。川上未映子の『夏物語』のとあるシーンが思い浮かんできたのだ。
「そんなことをぼんやりと考えていると、入り口がひらいて湯気が動き、二人連れの女が入ってきた——と思ったのだが、ひと目みて、どうも直感的に何かがおかしい。ひとりはいわゆる『女性の体』をした、二十代くらいの若い女性なのだけど、もうひとりのほうが、どう見ても、これが男性なのである」
川上未映子『夏物語』(p.82,l.11-14)、文春文庫、2021年
察しのよい方はもうお気づきかもしれない。そう、私の身にもこのシーンとまったく同じことが起こったのだ。「事実は小説より奇なり」という表現があるが、小説と同様の不思議さがあった。
『夏物語』の主人公・夏目夏子は、銭湯の女風呂で男性の姿を目にしたとき、必死に思考を巡らせていた。本当は女で女湯に入る資格があるに違いない、しかし私はかなり居心地が悪い、もしかしたら生物学的には女性だが意識は男性であるからきわめて男性的な風貌をしているのかもしれない——。
混乱したときのほうが思考が駆け巡ると、私はよく知っている。私は夏子そのもので、夏子も私そのものだった。
ちなみに、この銭湯でのエピソードは『夏物語』の軸となるテーマからは、少し派生した部分だ。『夏物語』の主人公・夏目夏子は大阪の下町で生まれ小説を目指し上京。まだ1冊しか著書がなく、経済的にも安定しない暮らしだが、38歳のころ、自分の子どもに会いたいと思い始めるようになる。子どもを産むこと、持つことへの周囲のさまざまな声を感じるなか、精子提供で生まれ、本当の父を探す逢沢と出会い、心を寄せていく——。生まれてくることの意味を問う、センシティブだが人間という生物において重要なテーマを扱う小説だ。
銭湯でのシーンに限らず、夏子が子を持つか否か悩む姿にも親近感を覚えた私は、正直、物語を読み進めるのが苦しい瞬間もあった。しかし、葛藤を乗り越えようとがむしゃらに生きている登場人物に励まされつつ読み進めると、最後には “大きなあたたかい何か” に包み込まれたような、体験したことがない “一体感” を覚える。きっとこの一体感は、物語の登場人物や、私の大切な人たちへの思いが生み出しているのだろう。トルストイが言っていた「愛は究極の一体感とはこのことか」と腑に落ちた瞬間でもあった。
▼トルストイ『人生論』から学ぶ、幸せな人生の幕の下ろし方(前編)
当たり前だが、小説は、問いかけられる意味も、感じるものも読む人によって異なる。しかし、『夏物語』は誰しもにとって大切な一冊になる、と自信を持って言える作品だ。すべての女性が、過去、今、そして未来に抱くであろう思考と感情が濃縮されている、“夏子の物語” だった。
『夏物語』は第一部のみ「cakes」で無料で読めます。
▼cakes「夏物語 第一部」
また、『夏物語』の発売に際して行われた川上未映子さんのロングインタビューが、「本の話」にて公開されています。こちらもぜひ読んでみてください。
▼<川上未映子ロング・インタビュー>「生む/生まない、そして生まれることへの問い」
- 書籍情報
- 川上未映子『夏物語』(文春文庫)
定価:970円(+税)
発売日:2021年8月3日
ISBN:978-4-16-791733-3
https://books.bunshun.jp/sp/natsumonogatari
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