六月や峯に雲置くあらし山——芭蕉はどんな情景を詠んだのか
真夏の京都・嵐山を詠んだ芭蕉の句
文・書:花塚水結
季節にあった季語を用いた俳句を紹介する連載「魂の俳句」。
第9回目は、「六月や峯に雲置くあらし山」(松尾芭蕉)。季語や意味、どんな情景が詠まれた句なのか、一緒に勉強していきましょう!
そして、その俳句を題材にして、大学で書道を学んでいた花塚がかな作品(日本のかな文字を用いて書かれる書道のこと)を書きますので、そちらもお楽しみに!
真夏の京都にて芭蕉が詠んだ句
俳句:六月や峯に雲置くあらし山(ろくぐわつやみねのくもおくあらしやま)
作者:松尾芭蕉(1644-1694)
出典:杉風宛書簡(元禄7年6月24日付)、笈日記、三冊子ほか
季語:六月(夏)
意味:六月(陰暦)の猛暑のなか、嵯峨嵐山は緑が生い茂り、明るい日差しが光り輝いて、峰の上高くには白い雲が立っている
1694年(元禄7年)、松尾芭蕉が詠んだ句です。季語は「六月」で、季節は夏。
当時は陰暦であったため、「六月」と言っても現在の7月上旬〜8月上旬ころにあたります。
意味は、「六月(陰暦)の猛暑のなか、京都市嵯峨野の嵐山は緑が生い茂り、明るい日差しが光り輝いて、峰の上高くには白い雲が立っている」。真夏の京都を詠んだ句です。
「六月」を「ミナヅキ」と読まずに音読みするのは、『翁行状記』(芭蕉の伝記)に振り仮名がつけてあり、6月24日付の杉風宛の書簡にも「六(ロク)月」を記してあるためです。
弟子の別荘から嵐山を眺めていた芭蕉
私がこの句から情景を想像して思い浮かべたのは、暑い夏。嵯峨野の町をブラブラ歩きながら、「あぁ、嵐山が見えるなぁ」と言っていた芭蕉が思い浮かびました。
ところがですよ。
芭蕉は弟子・向井去来の別荘にて悠々と嵐山を眺めていたんですよ!
去来の別荘は「落柿舎」と呼ばれていて、現在のJR嵯峨嵐山駅から徒歩15分程度の場所にあります。別荘のまわりの柿が一夜にしてすべて落ちたことから、その名がつけられたそうです。
去来の代表作の1つに「柿ぬしや梢は近き嵐山」という句があり、この句からもわかるように、落柿舎と嵐山はとても距離が近いことがわかります。芭蕉はこの落柿舎を三度訪れ、『嵯峨日記』を著した場所としても有名です。
そして、落柿舎から嵐山を眺めながら「六月や峯に雲置くあらし山」を詠んだのだとか。
「炎天下のなか苦労しながら歩いて生まれた句なんだな」と想像していたので、何だか勝手にガッカリしました。えらく快適なところから、優雅に詠んでいたんですね……。芭蕉さん、勝手にガッカリして申し訳ない。
みなさんはどんな情景を想像しましたか? この俳句を読んでの感想などを、コメント欄でぜひ教えてください(そして、私のかな作品の感想も聞かせてもらえたら、うれしいです!)。
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紫陽花やきのふの誠けふの嘘——子規はどんな情景を詠んだのか
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