トルストイ『人生論』から学ぶ、幸せな人生の幕の下ろし方(後編)
「幸福」は一生かかって少しずつ勉強してくもの
構成:花塚水結
ロシアの作家であるレフ・トルストイが著した『人生論』。「人生」に対する彼の考えから、これからを生きる新しいヒントを得ることで、新しい自分に出会えるのではないかと考えました。ただ、海外文学や思想家と聞くと、少しハードルが高く感じる方もいるでしょう。
安心してください! 私もその1人です。
そこで、今日はトルストイの専門家であるモスクワ大学上級講師の佐藤雄亮先生、日本学術振興会特別研究員の齋須直人先生、編集部の花塚、出口の4人で座談会を行いました。
前編では『人生論』の内容についてお話を伺いました。後編では、トルストイのいう「愛」とはなんなのか――。そして、トルストイは幸せだったのかを聞きました。前編はこちら
座談会メンバー
佐藤雄亮先生
モスクワ大学付属アジア・アフリカ諸国大学 日本語科上級講師。早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。専門は、トルストイを中心とする19世紀ロシア文学。著書に『トルストイと「女」博愛主義の原点』(早稲田大学出版部)、『選文読本――日本語参考書』(リュボーフィ・オフチンニコワと共著、モスクワ大学出版)など多数 。齋須直人先生
独立行政法人日本学術振興会特別研究員(受入先:早稲田大学)。桜美林大学他非常勤講師。専門は、ドストエフスキーを中心とする19世紀ロシア文学。花塚水結
編集者。トルストイ『人生論』ではじめて海外の文学に触れる。Twitter:@_I_eat_hotate出口夢々
編集者。幸せになりたいと毎日願っている。Twitter:@momodeguchi
自分の探求が「愛」につながる
佐藤:トルストイは『人生論』のなかで「愛」を中心に語っていて、「愛」について以下のようにいっています。
「愛の感情は、他の存在のために自己の生存を捧げることに人間をみちびくのである。」
『人生論』(新潮文庫、以下省略)144ページ「愛とは、自分、すなわち自己の動物的個我よりも他の存在を好もしく思う感情である。」
158ページ「愛はそれが自己犠牲である時にのみ愛なのである。」
162ページ
佐藤:ここだけ聞くと、「愛」とは特定の誰かを愛する、または自己犠牲のもとに愛が成り立つなどと、少々ハードルが高いようにも感じられますが、「愛」の概念は広いですから、もっと広い意味でとらえていいと思います。
充実感とか、わくわく感とか、好奇心が満たされるような感じとか、友情とか、いい人間関係とか、全部「愛」に入ると思います。
それはつまり、自己認識ですよね。自分を見つめて、自分は何者なのか、という。この自己認識を貫いていくと、必ず自分と他人との関係が出てきて、それこそが自分の「愛」になると思います。
佐藤:仕事をしている人ならば、自分が本当もおもしろいと思う仕事を追求していく。そうして行っている仕事は本当に楽しいでしょうし、おもしろいですよね。自分にとって本当におもしろいものというのは、他人にとってもおもしろいものです。
こうして自分の考えが普遍的な価値をもつことで、トルストイのいう、広い意味での「愛」になるのではないかと思います。
ただ、他人のために自分を捧げるという、聖人君子のような境地までいくのは、一見むずかしいようにも思えますが、日本人にとっては、あまりハードルは高くないような気もします。日本人は、伝統的に「集団」をものすごく大事にしてきましたから。これには、歴史的条件あるいは島国という地理的な問題もあるとは思いますが。
日本は自然災害がものすごく多いですよね。東日本大震災のときも、若い人が他人を避難させて自分の命を落としてしまうこともありました。
こうした自然災害や気候変動は自分たちがアンテナをはって、神経を研ぎ澄ませて、みんなで協力しないと乗り越えられない。そうやって何千年と生きてきたわけですから、「集団」を大事にするということが、どこかにインプットされていると思います。
幸福は一生かかって勉強していくもの
佐藤:トルストイは、人間にとって大切なものは幸福としていました。
「人間にとって大切で必要なのは、自分のものと感ずる生命の中での幸福、つまり自分の幸福だけなのである。」
29ページ
佐藤:そして、その幸福は、「愛」によってもたらされるともいっています。
「自分よりも他者を愛するならば、死は、自分のために生きている人間にとってのように、幸福と生命の中絶とは思われないだろう。」
120ページ「動物的生存のはなやかさや欺瞞の認識と、唯一の真の愛の生命をおのれのうちに解放することのみが、人間に幸福を与えるのである。」
167ページ
佐藤:NGOや宗教団体のような団体がありますよね。こうした団体は、立派なひとつのスローガンを掲げて、そこに同じ考えをもった人が集まって活動をしています。でも、いくら立派なスローガンでも、そこから自分の気持ちが離れていたり、心が置き去りにされたりしていると楽しくないと思うんですよ。そうすると、付和雷同になり、他人への押しつけになってしまい、 自分の幸福にも他人の幸福にもつながるかどうか、怪しくなってきます。
佐藤:トルストイがいっているのは、「本当に自分を信じきる」ということ。自分を信じるなかで、大きな存在や他人とのつながりがわかるようになります。
彼は、論文『キリスト教と愛国心』のなかで、「自己を信じきる」ことは、「神が語ること」すなわち「真理」を知ることだといっています。もしそれが本当にできれば、 納得した人生を送っていけるし、死ぬときも「まぁこんなものか」と思って、怖がらずに死んでいけるんじゃないかな。
ですから、「幸福」は一生かかって少しずつ学んでいくものだなとトルストイは考えたんです。私も、「幸福」が何かといわれると、よくわかってないと思いますしね。
トルストイ自身は幸せだったのか
齋須:トルストイの最期は幸せだったのでしょうか? はたから見ると、幸せだったという感じがしないような気がして。
佐藤:そうですね。トルストイは人生の最後に家出をした先で亡くなるわけですけど。貧富の差があるなかでみんなが幸福に幸せに暮らすためには、土地や財産を私有すべきでないという、ある種の社会主義的な考え方が彼にはあったわけです。
しかし、彼は財産や領地、屋敷などをもっていましたから、これらの所有は自分の思想に反すると考えていました。だから、彼には自分の思想を貫くために家を出て無一文になりたいという思いがずっとあったんです。
佐藤:ところが、財産を放棄すると家族は生活にも困りますから、もちろん、家族は猛反対しました。このジレンマは抱えていたと思います。
やがて財産を捨てたいトルストイと、それに反対する家族の間は徐々にギクシャクしていってしまいます。その状況に耐えられなかったのと、自分の思想を貫きたいという、両方の思いがあって彼は家出したんです。
結局、家出して彼は亡くなってしまいましたが、後悔はしてなかったと思います。彼は、今の自分が「これではだめだな」と思うと、とにかく前に進む。そういうことを絶えず繰り返していた人なので、家出をしたときも彼は、広い意味での自分の運命に向かって歩いていました。だから、後悔はなかったと思います。
花塚:最後まで自分の探究を貫いた結果、幸せに亡くなっていったのですね。
佐藤:はい。だからみなさん、そして私も、自分の探究を続けていけば、きっと幸福につながっていくのではないかと思います。
まだデータがありません。